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……いえ、懐かしいっても、実際に見た記憶のあるものばかりとは限らないんですがね……
すでに同じこと言ってる人もいらっしゃったかもしれませんが。
浜松市の広報課が(今でもやってるらしいんだけど)市政ニュースというのを作ってたんですね。
で、「浜松の凧あげ」ってのがあったんですよ。調べてみると、昭和40(1965)年のものらしいです。
「凧屋さんは、大凧合戦の凧作りに、忙しい毎日となってきます。」
「凧あげ合戦の醍醐味は、糸の絡ませあいから始まる、切りあいが一番です。」
すなわち、「初祝いの凧」というよりも、「合戦の凧」なんですね。
「揚がってしまえば当然やることは合戦」。それが浜松の凧の独自性であり、浜松の「凧」を「凧」たらしめたものです。
むろん、産まれ来た子供たちの健やかな成長を祈る行事としての要素も当然あります。
しかし、勢いよく合戦に挑むことによって、勝っても負けても
「絶対元気に育つぜ」とか
「粘り強い子になるよ」とか
「転んでもただでは起きないしぶとさが身につくよ」とか
そんな言葉をかけてあげるのも、健やかな成長を祈る言霊になるのではないでしょうか?
「揚がって祝っておしまい」ではなく、凧が揚がった先、子供たちと町内の健勝と発展も祈る、合戦にはそんな楽しみ方もあるような気がします。
すでに同じこと言ってる人もいらっしゃったかもしれませんが。
浜松市の広報課が(今でもやってるらしいんだけど)市政ニュースというのを作ってたんですね。
で、「浜松の凧あげ」ってのがあったんですよ。調べてみると、昭和40(1965)年のものらしいです。
「凧屋さんは、大凧合戦の凧作りに、忙しい毎日となってきます。」
「凧あげ合戦の醍醐味は、糸の絡ませあいから始まる、切りあいが一番です。」
すなわち、「初祝いの凧」というよりも、「合戦の凧」なんですね。
「揚がってしまえば当然やることは合戦」。それが浜松の凧の独自性であり、浜松の「凧」を「凧」たらしめたものです。
むろん、産まれ来た子供たちの健やかな成長を祈る行事としての要素も当然あります。
しかし、勢いよく合戦に挑むことによって、勝っても負けても
「絶対元気に育つぜ」とか
「粘り強い子になるよ」とか
「転んでもただでは起きないしぶとさが身につくよ」とか
そんな言葉をかけてあげるのも、健やかな成長を祈る言霊になるのではないでしょうか?
「揚がって祝っておしまい」ではなく、凧が揚がった先、子供たちと町内の健勝と発展も祈る、合戦にはそんな楽しみ方もあるような気がします。
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by talisker1969
| 2012-02-25 17:16
| 凧
たいへん楽しい会でした。
とかく「初子さまこそが浜松まつりの主人公である」という大義名分がそのまま浜松の風潮となり、まかり通っている昨今です。
しかし、
合戦の魅力、凧や伝統的に受け継がれてきた法被、そして屋台そのものの美意識
そういった「祭りという名の町ごとの争い」の要素。
ホントはこれが大事なんだよね。
僕がこのブログで掛川祭についてちょいちょい言及するのは、やはり掛川も町ごとの対抗意識が祭りを動かしていると感じるからです。(あの「外交は掛川の華」という言葉は祭の本質をよく言い表していると思う。)
「凧が揚がれば勝ち、それでおしまい」ではいけません。それは単なるマスターベーションです。
凧を揚げる以上は、よそより立派な「凧」でなければいけません。
浜松は明治以降自主消防組織(消防組→警防団→現在の消防団)が「凧」にかかわり、町ごとの競争となった地域なのです。
明治以降、先人たちが連綿と築き上げてきた「合戦」の意味を、もう一度かみ締めたいものです。
とかく「初子さまこそが浜松まつりの主人公である」という大義名分がそのまま浜松の風潮となり、まかり通っている昨今です。
しかし、
合戦の魅力、凧や伝統的に受け継がれてきた法被、そして屋台そのものの美意識
そういった「祭りという名の町ごとの争い」の要素。
ホントはこれが大事なんだよね。
僕がこのブログで掛川祭についてちょいちょい言及するのは、やはり掛川も町ごとの対抗意識が祭りを動かしていると感じるからです。(あの「外交は掛川の華」という言葉は祭の本質をよく言い表していると思う。)
「凧が揚がれば勝ち、それでおしまい」ではいけません。それは単なるマスターベーションです。
凧を揚げる以上は、よそより立派な「凧」でなければいけません。
浜松は明治以降自主消防組織(消防組→警防団→現在の消防団)が「凧」にかかわり、町ごとの競争となった地域なのです。
明治以降、先人たちが連綿と築き上げてきた「合戦」の意味を、もう一度かみ締めたいものです。
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by talisker1969
| 2012-02-18 17:43
| 凧
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