酒上不埒 三日(置き)坊主の日記

「浜松まつり」ではなく凧揚祭を愛し、あちこちのお祭りも愛する東田組HP管理人の日記
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西遠型屋台?の様式
お久しぶりです。
そろそろ各町、準備が始まっておいでのことでしょうね。
この日記もブログ化以前から数えると、もう10年目です。
これからも口から出任せ出放題になってしまいますが、よろしくご笑覧のほどを……



ところで、
ここんところ、古典的西遠型屋台の、特に柱と御簾の存在理由について考えています。
「八本柱の2本目にも虹梁を渡す。正面と2本目の柱にも御簾脇彫刻を施し、2本目から後ろの側面は簾障子で閉て切る。2本目の柱には御簾も下ろす。」
入野の古いタイプの屋台に見られる形です。この様式は現存する浜松型の最も古い形である天王の下堀や天王東(ともに明治中期の建造)もそうだったようで、側面の虹梁に鴨居溝と思しき跡があります。

一般的に、あのタイプの屋台の前部分はお神酒台となっていることが多いですね。

ここで、妄想半分の仮説。
「あれは掛川の出囃子と同じような機能を持っていたのではないか」
これまでアレは人形台だと思っていたのですが、最近こんな風に感じています。

かつては浜松型の屋台を「曳舞台家型」と呼んでいたようですが、浜松型の屋台であの部分を舞台にするにはあまりにも狭すぎます。人形台なら十分な大きさでしょうが、それなら浜北や戦前の蒲神明のように人形台を外にした方が人形の見栄えもいい。
そこで近隣の屋台との類似性を考えたときに思い当たったのが、掛川屋台の「出囃子」と「嵌め殺し障子」です(ちなみにご存知の方も多いと思いますが、掛川の祭も黒御簾囃子が活躍する祭です)。
掛川には「締太鼓(自町民)は表舞台、三味線や笛などの芸人(他所から頼むことも多い)は裏方」という考え方があったようで、たとえ自町民でも、芸人は屋台の外へ顔を見せてはならないとも言われていたようです。
そのため、屋台で囃子を演奏しても、締太鼓のいる場所と芸人のいる場所は厳格に分けられています。

あの様式の屋台も、もしかしたら、締太鼓とそのほかの鳴り物を分けるためのものだったのかもしれません。


ちなみに戦前の元目や元浜の屋台の画像を見ましたが、建具があったかどうかわかりませんでした。しかし幕はかなり深く下ろされていて、これも「囃子はあくまでも御簾内。」という思想であると思われます。
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by talisker1969 | 2010-01-31 21:20 | 祭全般 | Comments(0)
謹賀新年
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出先で呑みながらの新年です。

今年もよろしくお願いします。
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by talisker1969 | 2010-01-01 00:06 | | Comments(0)


by talisker1969
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