酒上不埒 三日(置き)坊主の日記

「浜松まつり」ではなく凧揚祭を愛し、あちこちのお祭りも愛する東田組HP管理人の日記
江戸時代も現代も……
 「凧」が現在の形になったのはせいぜい100年かそこらなんだけれど、江戸時代の「初凧習俗」の頃はどうだったんでしょう?
 つまりそのころは旧暦の五月、すなわち梅雨入り時分に初凧を揚げたわけで、しかも恐らく田植え=農繁期の真っ最中なわけで、天気の心配と農作業の心配があったんじゃないでしょうか?
 ご存知の通り、江戸時代の濱松宿は宿場内にも田畑があるようなところで(だからまさに街道・宿場のど真ん中に「田町」という地名があるのですが)、農作業の手間やなんかを考えると凧揚げの風習は農作業の邪魔になったんじゃないかと思われます。
 その辺は江戸時代の禁令や国学者高林方朗の日記にもあるようですが、現代でも「祭の効用は認めるけれど、どうも浜松まつりは好きになれない」「参加している町に住んではいるが、自分は浜松まつりに参加したいとは思わない」という人がいます。
 単に「お祭り騒ぎが嫌い」という人もいますが、「モラルの低さが嫌い」という人もいます。むしろその方が多いでしょう(表だって「単にお祭り騒ぎが嫌い」だと言えないために「モラルの低さ」にかこつけている人もいるでしょうけれど)。
 もともとお祭りとはそんなものではあります。お祭りという非日常は、「酒食の饗応」を「酒食の強要」にしかねない危険性もはらんでいるし、人口の流動が激しい昨今、「全ての浜松人にとって五月の3~5はおまつりである」わけでもありませんし。
 ただ、モラルの低下を嘆く声は確かにあちこちで聞こえてきたりもします。その表れの一端が、インターネット百科事典「ウィキペディア」における「浜松まつり」の記事のここしばらくの変化なんじゃないでしょうか。
 履歴を見ると、肯定派批判派入り乱れて相当数の方が記事の編集をしているようで、「編集合戦による保護依頼」が出てもおかしくない状況です。
 しかし実際にこれだけの声が出るのもむべなるかな。、 数年前の日記にも書いたのですが、いわゆる「暴力追放」だけでなく、モラルの向上という意味で、「不心得者の追放」も担い手の大事な仕事なんじゃないかなと考える今日この頃です。
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by talisker1969 | 2006-06-15 22:35 |
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 このページは、東田組の公式見解ではなく、あくまでも個人ブログです。また、単なる凧そのものや、「浜松まつり」と区別して、私達の凧揚祭を「凧」とカッコ付きにしてあります。「おまつり広場」だの「吹奏楽パレード」だの「日本民謡総おどり」だのを含んだ行政主導のイベントについて、およびほかの人の引用部分は「浜松まつり」と表記してあります。あくまでも旧来続いてきた凧合戦と屋台を焦点に据えていますので、それを頭に入れてこの日記をお読みください。
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