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酒上不埒 三日(置き)坊主の日記

「浜松まつり」ではなく凧揚祭を愛し、あちこちのお祭りも愛する東田組HP管理人の日記
「父が元自衛官」さんへのお返事
>父が元自衛官さま
お返事遅くなりまして申し訳ありません。
コメント欄で書くにはあまりに惜しい題材なので、独立した記事として書かせていただきたいと思います。

ラッパの歴史そのものは明治時代からあるようですね。
資料の孫引きですが、小楠氏の史料集には、明治時代の新聞記事に「太鼓喇叭で進退し」という記事があることから、浜松の凧揚げ習俗の中にラッパがあったことは確かなようです。
そういう意味で言えば、ラッパの存在そのものを全否定するものではないと考えます。

しかし、「凧」においてラッパの存在はごく少数であったようです。
終戦直後においても、ラッパはごく一部の町だけが持っていたようですね。「ラッパといえば○○町の『ラッパの●さん』」という有名人の存在もあったように伺っています。


ラッパの何が問題かと言うならば、「その数が過剰になっている現状」でしょう。

一町において10本も20本もラッパを用意し、凧を揚げている人数よりラッパを吹いている人数が多いのではないかというような状況。これでは凧揚祭ではありますまい。
練りのラッパの本数もやはり過剰でしょう。きちんとした掛け声や正しい摺り足の伝統が失われつつあるのも問題であると考えます。

ラッパそのものに罪があって祭を汚すのではなく、ラッパを誤解する人の増加が問題なのです。
ラッパはあくまでもくたびれてきた時の気持ちの引き締め役、過剰なラッパは却ってダレを助長します。
「ラッパの技術の巧拙」は、音楽としての巧拙ではありません。
飽くまでも少ない本数(出来るならば1町1本)で、それも凧の現場を知っている人が糸の出し入れ等に吹く絶妙のタイミングでのラッパ技術こそ、真のラッパ技術であると考えます。
by talisker1969 | 2009-07-11 21:21 |
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by talisker1969
お断り
 このページは、東田組の公式見解ではなく、あくまでも個人ブログです。また、単なる凧そのものや、「浜松まつり」と区別して、私達の凧揚祭を「凧」とカッコ付きにしてあります。「おまつり広場」だの「吹奏楽パレード」だの「日本民謡総おどり」だのを含んだ行政主導のイベントについて、およびほかの人の引用部分は「浜松まつり」と表記してあります。あくまでも旧来続いてきた凧合戦と屋台を焦点に据えていますので、それを頭に入れてこの日記をお読みください。
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