皆様、大変お疲れ様でした。
この時分、肉体的にも精神的にもぼろぼろなのですが、ようやく僕も祭りの疲れが取れてきました。
さて、昨日の中日新聞(静岡版)の夕刊をごらんの方も多いと思います。
「浜松の『自慢』知ってる? まつり低迷 餃子躍進」
東京と中京圏を対象にネットアンケートをした結果だそうですが、……
分析をした人も記事の紹介姿勢も、そしてアンケートそのものも「???」って感じの記事でしたね。
市が3月に行ったイメージアンケートだそうですが、
・アンケート全文を紹介していないという怪しさ(どんな選択肢があったのか見せろっつーの)
・ネットアンケートの統計学的な信頼度
・アンケート回答者の対象年齢その他もろもろ
……謎だらけですよね。
新聞記者もどういう感じでこの記事を紹介したいのか、見えてこないし。
そして観光交流課の分析担当者の頭が軽いとしか思えないようなこのコメント。
「凧揚げのまつりのたずねれば、もっと知られているはず」
でもね、大凧のまつりだったら、大きさだけなら近江八日市や相模原・武州春日部だってあるわけで、「もっと知られているはず」というのもちょっと言いすぎな気もします。特に関東の人たちにとっては相模原や春日部の身近さは浜松以上のはずです
で、「浜松の『凧』」を「浜松の『凧』」たらしめているとは何かというと初凧と合戦の習俗じゃないかと思うんですね。
特に合戦凧の習俗は越後三条・三河田原と並べても、凧そのものの大きさ、それに伴う組織戦の要素など、明らかに独自性や勇壮さにおいて誇れるものであるはずです。
しかし、近年、「合戦」を忌避する風潮が浜松に蔓延しているような気がして仕方がないのです。
凧合戦を暴力的な地上戦であるかのように見ている人、多くありませんか?
今年全面的に改定された「まつり規約」も、初祝いの要素ばかりを取り上げ、しかもそれを統監部某氏は「浜松まつりの憲法です」と言ったそうですね。
しかし浜松凧の醍醐味の一面をシカトして、「まつりの憲法」と言われても、それはどうなの?って感じです。
で、僕が何を言いたいかと言うと、「『観光資源としてのまつり低迷』の根源は、浜松凧の醍醐味を殺いでいる、『合戦忌避』の風潮ではないか」ということです。
醍醐味であるはずの「凧合戦」が低迷すれば、浜松の「凧」の知名度が低迷したって当然です。
確かにここ何年かの微風状態での「凧」において、揚げやすいけれど合戦に弱い軽量凧が広まってきた歴史的事情があるとしても、合戦の勇壮さの火を消してはいけません。
この「合戦忌避の風潮の張本人」が誰であるか、いまさらそんなことを詮索するつもりもありません。
しかし、僕たちにとって荒々しくも神聖な凧合戦が、「暴力的な行為」であるかのように扱われてきている近年の風潮は、明らかに祭りの魅力を殺いでいると言わざるを得ません。
われわれは観光客のためにやっているわけではありません。町民の皆さんの結束、町のプライドをかけた合戦の祭りなのです。
しかし、それが「凧」の誇りなのであり、それこそが魅力なのです。
いかに浜松の伝統である「凧合戦」を守り、受け継ぐか。
浜松の「凧」の当事者一人ひとりが、考えていくべき問題だと思います。
この時分、肉体的にも精神的にもぼろぼろなのですが、ようやく僕も祭りの疲れが取れてきました。
さて、昨日の中日新聞(静岡版)の夕刊をごらんの方も多いと思います。
「浜松の『自慢』知ってる? まつり低迷 餃子躍進」
東京と中京圏を対象にネットアンケートをした結果だそうですが、……
分析をした人も記事の紹介姿勢も、そしてアンケートそのものも「???」って感じの記事でしたね。
市が3月に行ったイメージアンケートだそうですが、
・アンケート全文を紹介していないという怪しさ(どんな選択肢があったのか見せろっつーの)
・ネットアンケートの統計学的な信頼度
・アンケート回答者の対象年齢その他もろもろ
……謎だらけですよね。
新聞記者もどういう感じでこの記事を紹介したいのか、見えてこないし。
そして観光交流課の分析担当者の頭が軽いとしか思えないようなこのコメント。
「凧揚げのまつりのたずねれば、もっと知られているはず」
でもね、大凧のまつりだったら、大きさだけなら近江八日市や相模原・武州春日部だってあるわけで、「もっと知られているはず」というのもちょっと言いすぎな気もします。特に関東の人たちにとっては相模原や春日部の身近さは浜松以上のはずです
で、「浜松の『凧』」を「浜松の『凧』」たらしめているとは何かというと初凧と合戦の習俗じゃないかと思うんですね。
特に合戦凧の習俗は越後三条・三河田原と並べても、凧そのものの大きさ、それに伴う組織戦の要素など、明らかに独自性や勇壮さにおいて誇れるものであるはずです。
しかし、近年、「合戦」を忌避する風潮が浜松に蔓延しているような気がして仕方がないのです。
凧合戦を暴力的な地上戦であるかのように見ている人、多くありませんか?
今年全面的に改定された「まつり規約」も、初祝いの要素ばかりを取り上げ、しかもそれを統監部某氏は「浜松まつりの憲法です」と言ったそうですね。
しかし浜松凧の醍醐味の一面をシカトして、「まつりの憲法」と言われても、それはどうなの?って感じです。
で、僕が何を言いたいかと言うと、「『観光資源としてのまつり低迷』の根源は、浜松凧の醍醐味を殺いでいる、『合戦忌避』の風潮ではないか」ということです。
醍醐味であるはずの「凧合戦」が低迷すれば、浜松の「凧」の知名度が低迷したって当然です。
確かにここ何年かの微風状態での「凧」において、揚げやすいけれど合戦に弱い軽量凧が広まってきた歴史的事情があるとしても、合戦の勇壮さの火を消してはいけません。
この「合戦忌避の風潮の張本人」が誰であるか、いまさらそんなことを詮索するつもりもありません。
しかし、僕たちにとって荒々しくも神聖な凧合戦が、「暴力的な行為」であるかのように扱われてきている近年の風潮は、明らかに祭りの魅力を殺いでいると言わざるを得ません。
われわれは観光客のためにやっているわけではありません。町民の皆さんの結束、町のプライドをかけた合戦の祭りなのです。
しかし、それが「凧」の誇りなのであり、それこそが魅力なのです。
いかに浜松の伝統である「凧合戦」を守り、受け継ぐか。
浜松の「凧」の当事者一人ひとりが、考えていくべき問題だと思います。
いよいよ「凧」本番が近くなってきました。
ここしばらく投稿も少なめだったのですが、そんな状態でも、「荒ぶる神聖な三日間」はやって来ます。
今年は初の件数が多い町も多いため、昼間は例年以上の活気もある反面、合戦も相当勢いがつくと思います。
当然のことながら、われわれの「凧」の眼目は凧、
それも初祝いのために戦う、「凧合戦」です。
それは無論、凧と糸による戦いです(人同士がグーだの刃物だので戦うわけではないことがミソですね)。
いい合戦になりますように。皆様、凧場でお会いしましょう!!
ここしばらく投稿も少なめだったのですが、そんな状態でも、「荒ぶる神聖な三日間」はやって来ます。
今年は初の件数が多い町も多いため、昼間は例年以上の活気もある反面、合戦も相当勢いがつくと思います。
当然のことながら、われわれの「凧」の眼目は凧、
それも初祝いのために戦う、「凧合戦」です。
それは無論、凧と糸による戦いです(人同士がグーだの刃物だので戦うわけではないことがミソですね)。
いい合戦になりますように。皆様、凧場でお会いしましょう!!
あの悪夢のような日から1年経ちました。
今日、「凧」の準備を終えて公会堂を出ると、ロータリーから太鼓の音。
「おや?」と思って見に行くと、復興祈念イベントの一環として、大念仏をやっていました。
私が見たのは、呉松大念仏が帰っていくところ。
双盤の音が心に沁みました。
まだまだ問題は山積しています。
復興どころか故郷に帰れない方々も多いと伺っています。
忘れてはいません、あの日のこと。
いつまでも心の片隅に残していきたいと思います。
今日、「凧」の準備を終えて公会堂を出ると、ロータリーから太鼓の音。
「おや?」と思って見に行くと、復興祈念イベントの一環として、大念仏をやっていました。
私が見たのは、呉松大念仏が帰っていくところ。
双盤の音が心に沁みました。
まだまだ問題は山積しています。
復興どころか故郷に帰れない方々も多いと伺っています。
忘れてはいません、あの日のこと。
いつまでも心の片隅に残していきたいと思います。
……いえ、懐かしいっても、実際に見た記憶のあるものばかりとは限らないんですがね……
すでに同じこと言ってる人もいらっしゃったかもしれませんが。
浜松市の広報課が(今でもやってるらしいんだけど)市政ニュースというのを作ってるんですね。
で、「浜松の凧あげ」ってのがあったんですよ。調べてみると、昭和40(1965)年のものらしいです。
「凧屋さんは、大凧合戦の凧作りに、忙しい毎日となってきます。」
「凧あげ合戦の醍醐味は、糸の絡ませあいから始まる、切りあいが一番です。」
すなわち、「初祝いの凧」というよりも、「合戦の凧」なんですね。
「揚がってしまえば当然やることは合戦」。それが浜松の凧の独自性であり、浜松の「凧」を「凧」たらしめたものです。
むろん、産まれ来た子供たちの健やかな成長を祈る行事としての要素も当然あります。
しかし、勢いよく合戦に挑むことによって、勝っても負けても
「絶対元気に育つぜ」とか
「粘り強い子になるよ」とか
「転んでもただでは起きないしぶとさが身につくよ」とか
そんな言葉をかけてあげるのも、健やかな成長を祈る言霊になるのではないでしょうか?
「揚がって祝っておしまい」ではなく、凧が揚がった先、子供たちと町内の健勝と発展も祈る、合戦にはそんな楽しみ方もあるような気がします。
すでに同じこと言ってる人もいらっしゃったかもしれませんが。
浜松市の広報課が(今でもやってるらしいんだけど)市政ニュースというのを作ってるんですね。
で、「浜松の凧あげ」ってのがあったんですよ。調べてみると、昭和40(1965)年のものらしいです。
「凧屋さんは、大凧合戦の凧作りに、忙しい毎日となってきます。」
「凧あげ合戦の醍醐味は、糸の絡ませあいから始まる、切りあいが一番です。」
すなわち、「初祝いの凧」というよりも、「合戦の凧」なんですね。
「揚がってしまえば当然やることは合戦」。それが浜松の凧の独自性であり、浜松の「凧」を「凧」たらしめたものです。
むろん、産まれ来た子供たちの健やかな成長を祈る行事としての要素も当然あります。
しかし、勢いよく合戦に挑むことによって、勝っても負けても
「絶対元気に育つぜ」とか
「粘り強い子になるよ」とか
「転んでもただでは起きないしぶとさが身につくよ」とか
そんな言葉をかけてあげるのも、健やかな成長を祈る言霊になるのではないでしょうか?
「揚がって祝っておしまい」ではなく、凧が揚がった先、子供たちと町内の健勝と発展も祈る、合戦にはそんな楽しみ方もあるような気がします。
たいへん楽しい会でした。
とかく「初子さまこそが浜松まつりの主人公である」という大義名分がそのまま浜松の風潮となり、まかり通っている昨今です。
しかし、
合戦の魅力、凧や伝統的に受け継がれてきた法被、そして屋台そのものの美意識
そういった「祭りという名の町ごとの争い」の要素。
ホントはこれが大事なんだよね。
僕がこのブログで掛川祭についてちょいちょい言及するのは、やはり掛川も町ごとの対抗意識が祭りを動かしていると感じるからです。(あの「外交は掛川の華」という言葉は祭の本質をよく言い表していると思う。)
「凧が揚がれば勝ち、それでおしまい」ではいけません。それは単なるマスターベーションです。
凧を揚げる以上は、よそより立派な「凧」でなければいけません。
浜松は明治以降自主消防組織(消防組→警防団→現在の消防団)が「凧」にかかわり、町ごとの競争となった地域なのです。
明治以降、先人たちが連綿と築き上げてきた「合戦」の意味を、もう一度かみ締めたいものです。
とかく「初子さまこそが浜松まつりの主人公である」という大義名分がそのまま浜松の風潮となり、まかり通っている昨今です。
しかし、
合戦の魅力、凧や伝統的に受け継がれてきた法被、そして屋台そのものの美意識
そういった「祭りという名の町ごとの争い」の要素。
ホントはこれが大事なんだよね。
僕がこのブログで掛川祭についてちょいちょい言及するのは、やはり掛川も町ごとの対抗意識が祭りを動かしていると感じるからです。(あの「外交は掛川の華」という言葉は祭の本質をよく言い表していると思う。)
「凧が揚がれば勝ち、それでおしまい」ではいけません。それは単なるマスターベーションです。
凧を揚げる以上は、よそより立派な「凧」でなければいけません。
浜松は明治以降自主消防組織(消防組→警防団→現在の消防団)が「凧」にかかわり、町ごとの競争となった地域なのです。
明治以降、先人たちが連綿と築き上げてきた「合戦」の意味を、もう一度かみ締めたいものです。
住んでいるマンションが大規模修繕工事に入り、「ベランダの防水工事をやるからベランダにおいてあるものを片付けておいてくださいね」と言うことで、片付けをしていました。
そしたら出てくるわ出てくるわいろいろなものが。
特に山のように出てきたのが、節句人形。その内訳は
正月飾り……破魔弓1・手鞠1・猩々1
三月飾り……雛人形(ミニサイズ)1・市松人形1・藤娘1
五月飾り……兜飾り1・兜差人形1
うーん、ゴミにして捨てていいものも含めて大変なことになってました。

ちなみに写真は兜差人形。スタイルが「暫」の鎌倉権五郎っぽい所作です。
「凧」にはこの人形久しぶりに飾ってみようかな。
そしたら出てくるわ出てくるわいろいろなものが。
特に山のように出てきたのが、節句人形。その内訳は
正月飾り……破魔弓1・手鞠1・猩々1
三月飾り……雛人形(ミニサイズ)1・市松人形1・藤娘1
五月飾り……兜飾り1・兜差人形1
うーん、ゴミにして捨てていいものも含めて大変なことになってました。

ちなみに写真は兜差人形。スタイルが「暫」の鎌倉権五郎っぽい所作です。
「凧」にはこの人形久しぶりに飾ってみようかな。
激動の平成23年もひとまず区切りとなり、新しい年が明けました
今年は壬辰(みずのえ たつ)の年
「壬」は甲骨文字では鍛冶の金床を象り 器物を鍛えることを意味するそうです
また、「妊」と音通であることから、ものを身ごもり、新しい命の予兆ともされています
「辰」は「蜃」の元の字とされ 蛤などの2枚貝が足を出して動く様を意味します
また、「蜃気楼」という言葉からもわかるように この貝は強大な気を吐く霊気を持っています
そこから「辰」は水中の強大な気の源である「龍」と同一視されました

皆様にとりまして 事物鍛えられ 新たな予感の感ぜられる年 また昇龍如意の年となりますよう祈念いたします
今年は壬辰(みずのえ たつ)の年
「壬」は甲骨文字では鍛冶の金床を象り 器物を鍛えることを意味するそうです
また、「妊」と音通であることから、ものを身ごもり、新しい命の予兆ともされています
「辰」は「蜃」の元の字とされ 蛤などの2枚貝が足を出して動く様を意味します
また、「蜃気楼」という言葉からもわかるように この貝は強大な気を吐く霊気を持っています
そこから「辰」は水中の強大な気の源である「龍」と同一視されました

皆様にとりまして 事物鍛えられ 新たな予感の感ぜられる年 また昇龍如意の年となりますよう祈念いたします
お久しぶりです。
あまり神事祭礼以外のイベントについてあまり書くことはなかったのですが。
「Hamamatsu合同大学祭2011」
なかなか楽しいイベントでした。
学生の皆さんが一生懸命になって浜松を盛り上げ、浜松の産業を守り立ててくれようとするその心が実にすがすがしいですね。
できれば、ひとつお願いがあります。
今回のパンフを見ても、あるいはポスターを見ても、今回参加している大学の名前が全然ないんですよね。
おそらく浜松の全大学だろうと思ったのですが、「産業大もいるのかあ。じゃ理工科は?三遠南信つながりで豊橋方面の大学は?大学と言うんだったら村櫛にある光産業大学院大も?」とか思っちゃったんですね。
公式ブログを見て、ようやく浜松市内の全6大学+静岡産業・静岡理工科・浜松DCだとわかったのですが、やっぱり大学名を露出したほうがいいんじゃないのかなあ?
大学名が露出されることで、学生の皆さんにも自信になるし、大学を知ってもらういい機会にもなると思うんですよ。
でなければ、合同「大学」祭を名乗る効果が薄くなっちゃうような気がします。
来年のパンフにはぜひ大学名をもっと前面に出してくださいね。もちろん各大学の独自色が見えるような研究室発表や模擬授業体験なんかもできるといいな。そうでないと単なる模擬店大会でしかないですから。
あまり神事祭礼以外のイベントについてあまり書くことはなかったのですが。
「Hamamatsu合同大学祭2011」
なかなか楽しいイベントでした。
学生の皆さんが一生懸命になって浜松を盛り上げ、浜松の産業を守り立ててくれようとするその心が実にすがすがしいですね。
できれば、ひとつお願いがあります。
今回のパンフを見ても、あるいはポスターを見ても、今回参加している大学の名前が全然ないんですよね。
おそらく浜松の全大学だろうと思ったのですが、「産業大もいるのかあ。じゃ理工科は?三遠南信つながりで豊橋方面の大学は?大学と言うんだったら村櫛にある光産業大学院大も?」とか思っちゃったんですね。
公式ブログを見て、ようやく浜松市内の全6大学+静岡産業・静岡理工科・浜松DCだとわかったのですが、やっぱり大学名を露出したほうがいいんじゃないのかなあ?
大学名が露出されることで、学生の皆さんにも自信になるし、大学を知ってもらういい機会にもなると思うんですよ。
でなければ、合同「大学」祭を名乗る効果が薄くなっちゃうような気がします。
来年のパンフにはぜひ大学名をもっと前面に出してくださいね。もちろん各大学の独自色が見えるような研究室発表や模擬授業体験なんかもできるといいな。そうでないと単なる模擬店大会でしかないですから。
エイサー見物二日目の日記、の前に昼間の日記です。
「琉球王国のグスクと関連遺産群」8箇所のうち、これまでに見たことがあるのは前日の玉陵を含めて5箇所(首里城・園比屋武御嶽・勝連城・中城城・玉陵。園比屋武御嶽を独立した遺産としてカウントした場合)。
ということで、残り4箇所のうち本日は2箇所を見学。
その1 王家の別荘兼迎賓館 「識名園」


建物のいいアングルを探して茂みに足を突っ込もうとしたら↓

あっぶねぇ~~~^^;
園内の高台「勧耕台」から見た那覇市内の景色。

その2 第一尚氏王朝の武将、護佐丸が作った「座喜味城」



沖縄のあちこちで見かける「松になりそこなったような植物」の正体、モクマオウの木です。


で、こちら↓が正しいリュウキュウマツ

夕方に夕日の名所、残波岬にも行ったのですが、残念ながら曇り空でいい夕日にはなりませんでした^^


おまけ^^

「琉球王国のグスクと関連遺産群」8箇所のうち、これまでに見たことがあるのは前日の玉陵を含めて5箇所(首里城・園比屋武御嶽・勝連城・中城城・玉陵。園比屋武御嶽を独立した遺産としてカウントした場合)。
ということで、残り4箇所のうち本日は2箇所を見学。
その1 王家の別荘兼迎賓館 「識名園」


建物のいいアングルを探して茂みに足を突っ込もうとしたら↓

あっぶねぇ~~~^^;
園内の高台「勧耕台」から見た那覇市内の景色。

その2 第一尚氏王朝の武将、護佐丸が作った「座喜味城」



沖縄のあちこちで見かける「松になりそこなったような植物」の正体、モクマオウの木です。


で、こちら↓が正しいリュウキュウマツ

夕方に夕日の名所、残波岬にも行ったのですが、残念ながら曇り空でいい夕日にはなりませんでした^^


おまけ^^

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